大好きな最年少。

2011年6月28日、衝撃が走ったこの日からもうすぐ5年‥新しい道を歩み始めた彼のためにも語るのは今日でおしまいにします。そのためにも自分の中でずっと消化できないままだった気持ちを今日で終わりにするために書きたいと思います。

2011年6月28日、朝起きてニュースを見て理解したくてもできなくてモヤモヤしながら学校へ行き、帰りに週刊誌を見て崩れ落ちました。その時感じたのは怒りよりも悲しさが強くて‥写真を見ると明らかに親しい人からの流出したのでは?と言いたくなる写り方‥本人がしたことはしてはいけないことだけど、写真を流出するような友達が側にいるのかとかわいそうだなと思った。そして次に思ったのはメンバーは知っていたのか、周りに止めてくれる人はいなかったのか、ということ。彼がしたことを正当化するつもりは全くないけれど、笑顔の裏にはどれだけの不安を抱えて生きてきたんだと小さい頃から芸能界で生きてきた彼の孤独と切なさを知った気がしてなんとも言えない気持ちになったことだけははっきりと覚えてます。

そのあとの編集された歌番組を見た時はやりきれない気持ちになって‥
最後のシングルとなるoverはその時の状況に当てはまりすぎて‥その後Magic Powerが出た時はPowerつながりで第2節の始まりを示してるのかと深読みしたりもした。

この時の事務所の判断は無期限の活動休止。本当に戻すつもりがないならすぐクビにすることもできたのに活動休止という形にしたのは、本人が本気で戻ってこようと思えばきっと‥、でもそういう結論にならなかったということは本人が望まなかったのではないかと思います。
個人的に復帰するタイミングは高校卒業か、20歳になった時、そうずっと思ってて。これに関してはいろんな意見があったと思うけど、期間が長すぎて戻って来ても‥って思う反面、どこか諦めきれない気持ちだけがずっと残っていた。

そして2014年11月1日にTwitterが開設。今までも似せたアカウントはあったけど、明らかに何かが違う。でも写真だけでは絶対龍太郎だと言い切れない。それだけ見れなかった空白の4年という月日は長くて‥今思えば本当はこの時点でわかってたけど認めたくなかったのだろう。そんな中2015年3月9日にyoutubeに動画が上がった。動画を見た瞬間、これは龍太郎なんだと認めるほかなくなってしまった。見てない時期が長くても、動いてる姿を見た瞬間、龍太郎だと確信が持ててしまった。「認める=もう戻ってこない」その時に初めて自分が心のどこかでグループに帰ってくるのを待ち望んでたんだということに気づいてしまった。心のどこかで龍太郎もJUMPに戻って来たいと思っている、そう信じてた。龍太郎が20歳になった時に復帰しなかったらもう諦めよう。区切りをつけるのは龍太郎側からじゃなくて自分が先だとずっと思ってた私としては自分の中で区切りをつける前に、全てがわかってしまい、やりきれない想いだけが残ってしまった。

活動休止中も、現在も龍太郎に関して一貫して自分が願っていることがあります。それは幸せで笑顔あふれる生活を送って欲しいということです。やってしまったことをなかったことにするつもりはない。プロとして、人に見られる立場としてしてはいけないことをしたのは事実だから‥。だからこそ次は幸せな道を歩んでほしい。

2016年4月21日、芸能界復帰。
今でもJUMPにいたら‥って気持ちを全て消すことはできないけれど、辛い時期に見つけたZEROという大切な仲間と安心できる居場所。今度こそは大切な夢を掴んでほしい。もう同じグループとして寄り添って歩むことはないけれど、大切な10人の仲間がいた、愛すべき最年少が存在したということはいつまでも心の中にいて忘れない。語るのも今日でおしまい。次こそは龍太郎らしく歩んで、彼らの道がいつか再び交わる日が来るのを、心の底から願っています。
森本龍太郎の第2章がきっとここから始まる。